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小説『朝霧』 十六話

 

陽子は祖母の話を正造に聞いてもらおうと電話をするが、留守電になる。(おじさん、大変な事実がわかったの。一度会いたいから、夕方行くわ)とメールをした。来ると言われたら仕方がない。もともと正造は会いたかったから(夕食でも食べる時間ならいいですよ)と送ると(おじさんの家は事務所から近いの?)
(はい)
(場所教えて)
(何故?)
(いつも、お世話になっているので、畑の野菜を祖母が持って行きなさいと言うから)
正造は自分のことを祖父母に話しているのか? とびっくりしたが、自宅を教えたのだ。陽子は友達の車に野菜を乗せて、正造の家まで送ってもらうことにした。祖父母には、友達に東京で世話になったからお礼がしたいと言って野菜をもらったのだ。
夕方の五時前に正造の自宅に着いて、箱いっぱいの野菜を友達と抱えて、チャイムを鳴らす。友達は荷物を置くと用事で走り去った。
しばらくして良造が出て来て「どなたさんですか?」
「いつも、お世話になっています、桜井陽子と申します」とお辞儀をした。中から春子も出て来て「お爺さん? どなた様でしょうか?」と陽子の顔を見て驚きの表情に変わった。
「お母さんですか? 正造さんにいつもお世話になっています。これは自宅で栽培した野菜なのですが、お召し上がりください」と重たい箱を押しだした。唖然としていた春子が我に返って「どうも、ありがとう、こんなに沢山いただいて」と笑顔で礼を述べて「上がってお茶でも」
「正造さんと約束していますので、行かないと」
「そうですか、また、いつでも寄ってください」と会釈をして見送るのだった。
ほとんどど同時に弟の亮造が入ってきた。
「可愛い女の子が来たみたいだけど? 誰?」
「正造の友達らしいよ」
「兄貴にあんな若くて綺麗な知り合いがいたの?」
「私はそれより、驚いたよ」
「何が?」
「昔ね、いや、今もだけれど、正造の部屋を掃除していて見たのだよ」
「何を?」
「机の引き出しが少し空いていて、閉まらないから開けると中に白黒の女の子の写真が引き延ばして入っていたのだよ」
「昔だろう」
「もう二十年以上前だよ」
「そりゃ、そりゃ兄貴も青春時代の思い出の写真くらいあるだろう」
「今も時々見ているようだよ」
「凄いじゃない。でも、それが今の女の子に関係があるの?」
「ある、というか、本人だよ」

「お袋、何をいうの? 今の娘さんまだ二十歳前だよ、兄貴の写真って二十年前だろう」
「でも、生き写しだったよ」
横で聞いていた父が「お前も野菜持って帰りなさい、こんなに沢山食べられないから」
亮造は持参した封筒を春子に渡すと「じゃあ、少しもらって行くか」
そう言って箱から幾つかの野菜を抱えて帰って行ったが、すぐに戻って来て「お袋、俺あの子見た記憶がある」と叫んだ。
「どこで?」と春子が驚いたように言うと
「大学に通学していた時、二、三度電車で会ったよ、今思い出した」
昔を懐かしみながら亮造が言う。
「お前の方が馬鹿じゃないの? あの子は今二十歳前だよ」
「あっ、そうか、えー兄貴の隠し子?」
亮造が閃いたように言うと
「本当か」
今度は良造が驚きの声をあげた。
「じゃあ、兄貴もあの女の子が好きだったんだ、知らなかったなあ」
亮造は納得したように言う。
「正造の隠し子って、本当かも」
今度は春子が言い出した。
「結婚話に耳を貸さないわけだ、子供がいたのじゃ無理だよな」
亮造が笑いながら言って、三人は勝手な想像で盛り上がるのだ。
「何故、私達に相談しなかったのだろう?」良造が言うと
「彼女の両親に反対された」亮造が言う
「でも子供が出来たら許すでしょう」春子が、不審感を持って言う
「じゃあ、兄貴の子供ではないな」
「じゃあ、さきほどの娘さんは?」
「彼女の娘さんなのは間違いない」
「正造の彼女!」春子の声のトーンが変わる。
「親子ほどの歳の開きだな、兄貴もなかなかのものだ」
「亮造、誰にも言ったら駄目だよ、恥をかくからね」と春子はあり得ない正造の恋愛に失望を隠せなかった。

駅に戻った陽子は正造の到着を待っていた。声をかけてくる若者が数組あったが、「彼氏を待っているので、ごめんね」と言って断るのだった。
しばらくして正造がやって来て「何を食べたい?」
「何がいいかな、鰻って美味しい?」
「そうだった、陽子さんは鰻が好物だったね。焼いている処があるからそこに行こう」
「わー、嬉しい」といきなり腕を組んできた。正造は悪い気はしなかったが、駅から降りてきた
姉の大垣美晴に見られていた。自宅に用事で来たのだ、早速春子に正造の姿と女の子の話を大
きくして、面白可笑しく語っていた。
「びっくりしたわ、綺麗な娘さんと腕を組んでいたわよ」
「お爺さん、やっぱり彼女だよ、こりゃあ事件だよ」
春子には驚きと、嬉しさが同居していた。

鰻屋に入った二人だったが、ここにも知り合いが既に飲んでいた。柏木と木下の二人が正造を見て手を挙げたが、陽子を見て微笑むだけにしたのだった。二人に話が聞こえない場所に座ると、目の前に鰻の焼く炭火が見えて「美味しそうよ」と見入る陽子。
蒲焼き二つに、焼き鳥。
「私は生ビール飲むけれど、陽子さんは?」
「私も、同じ」と微笑みながら言った。
「大丈夫? お酒好きに成ったの?」と心配顔の正造。
「ビール美味しいし、暑いでしょう、だから!」陽子は楽しそうだった。久々に正造に会えたから、気分が弾けていた。ジョッキが二つと付き出しの冷や奴が来て「じゃあ、乾杯」「乾杯」と二人は飲み出した。
「おじさん、違う、お父さんだ、大変なことを祖父から聞いたのよ」
「何を?」
「勝巳さんはお父さんだったのよ」
「やはり、そうだったか」
「それがね、そのお父さんと聡子さんが恋愛してしまったらしいの」
「えー」
「それで、二人が海外に逃げて、母が追いかけて行ったのよ」
「驚きの話だね、祖父母が怒るのは無理ないね」
「でしょう、父を姉妹で取り合いになったのね。入院していたお婆さんの息子さんね」
やきとりがテーブルに届いて「焼きたてで美味しいわ」と食べ始める。
正造が飲み終わって「お代わり」と言うと「私も」と言ってジョッキを差し出した。
「ええー、酔うと帰れないよ」
「大丈夫お父さんの家に泊まるから」
「ええー」
驚く正造に続けて「だって家知っているから」
そこに鰻の蒲焼きがきて「わー、大きいわ、焼きたてを食べるのは始めてだわ」
早速食べ始めて「美味しいわ、最高!」
満面の笑みで食べるのだった。
鰻を食べ終わると陽子は戸籍謄本を差し出して「これ見て。三人とも死んでいないでしょう」
「そうだね、どこに住んでいるんだろう?」
「それにね、お父さん以外に笹倉の家では清巳さんも小さい時に亡くなったみたいだわ」
「兄弟多いね、だから養子さんに来たのだね」
「それとね、笹倉違いの真子さんのお母さんに会いに行ったら、桜井は疫病神だと逃げたのよ」
「えー、陽子さんではなくて、桜井と云う名前の人に不幸にされたとかかな?」
鰻を食べ終わって鮭のお茶漬けを注文していたら、柏木と木下の二人が来て「お嬢さんを紹介してよ」と言う。陽子が急に立ち上がって「いつも、父がお世話になっています、娘の陽子です、どうぞよろしくお願いします」とお辞儀をした。「田宮、お前の娘さん、顔も綺麗だけれど、行儀も礼儀もしっかりしているな」と二人が言った。柏木が「鳶が鷹を生んだな」と笑ったら陽子が「お父さんが鳶ならおじさん達も鳶ね」と言ったので「こりゃあ、参ったな、先に帰るよ」と二人は出て行った。
話を聞いていた鰻屋の親父が「田宮さんにこんな綺麗なお嬢さんがいたのには、びっくりしました」と笑うと、陽子が「お父さんじゃあ、ありません。彼氏よ」そう言って微笑んだ。驚く正造に「まあ、父親は娘さんには、彼氏かもしれませんな」と鰻屋の主人が笑うのだった。陽子は二杯のビールで酔っていた、思っていたことがそのまま出た。鮭茶漬けを食べて二人は鰻屋を出て、「遅く成るから帰りなさい」
「少し酔ったかも」
「そこでコーヒーでも飲んで醒ましてから帰った方がいいな」
「はい」
正造は陽子を引っ張って喫茶店に入る。
「でも少し変だな?」と正造が言う。
「三人で海外に暮らして約二十年、一度も連絡がないのも」
「そうなの?」
「知り合いに刑事がいるから、一度相談してみるよ」
正造には陽子の話が少し変に聞こえたのだった。

 

 
 

 
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