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小説『朝霧』 九話

 

正造は自分の年齢を忘れるほど楽しいのだ。遊園地でジェットコースターに二度も乗って、陽子の長い髪が正造の頬をなでると最高の幸せを感じていた。二十年前の青春をいま取り戻している心境になっていた。お化け屋敷に入ると陽子が必死で正造の腕を掴む。感激の時だ。弘子と遊んでいる、そんな気分だった。数時間遊園地で遊んだ二人は充分満足していた。母の消息探しは、しばし忘れていた。陽子も父と遊んだことがなかったから、正造を実の父と思うほど甘えていた。子供の頃から父親と遊びたかったのだ。お父さんと遊んだらこんな感じなのかなあ? 嬉しさが込み上げる。車に戻った陽子の目に涙が滲んでいた。
「どうしたの? 恐かったの?」
「違うわ、お父さんと一度遊園地で遊びたかったの」
そう言いながら泣き出してしまった。困った正造は優しく陽子を抱きしめた。
「ありがとう、ございました」泣きながらお礼を言う陽子だった。両親に一度も会っていない、可愛そうな娘なのだ。愛に飢えていると正造は感じた。両親がどのような形で現れるのか。本気で探してやりたいと思う正造だった。
帰りの車で「笹倉さんが落ち着いたら、自宅にもう一度聞きに行こう。野々村さんの住所もわかるかもしれないよ」
「ありがとう、おじさん、優しいね」
陽子は正造が本当に優しい人だと思い始めていた。何故? 母はこんなに優しい人を相手にしなかったのだろう? おじさんは母を愛していたから、私に対する態度以上に優しかったと思うのに、何故? 陽子の脳裏にひとつの疑問が生まれていた。

翌日から陽子は挨拶のように、毎日携帯で正造に電話をしてきた。
「おはようございます、元気です!」くらいしか話さないが、正造には嬉しかった。電話のない日は逆に心配になって自分から電話をするのだ。
陽子は笹倉の家なら自転車で行ける距離だから、少し時間が経過して落ち着いたら、聞きに行こうと思ったのだ。お爺さんの調子が悪く家族が集まっていたから、一ヶ月ほど時間を空けてから行こうと考えていた。

野々村真希の近所のおばさんが正造に電話をくれたのは、尋ねた時から随分経過していた。忘れていたらしく、詫びながら東京の住所を教えてくれたのだ。早速、陽子に連絡すると、来週から夏休みだから行って聞いてくると言うのだ。しかし十八歳の娘を一人で東京に行かせるのは不安な正造だった。
「おじさんには、お願い出来ないし」と意味ありげな言葉に考え込む正造だった。どのように祖父母に言うのだろう? 簡単には行かしてはもらえないだろう。正造も東京には数えるほどしか行ってない。陽子を一人で行かせるには、不安が大いにあったのだ。可愛くて綺麗な陽子が東京の男性に声を掛けられてどこかに。そう考えていると、とても一人では行かせられない正造だった。
陽子は祖父母に、友達と夜行バスでディズニーランドに行きたいと話していた。バイトをしていない陽子には、まず旅費が必要だったのだ。このような事態のためにバイトは必要だと、お年玉を貯めていた通帳を見る陽子だ。

祖父に陽子が尋ねた。
「先日のお婆さんの話って何だったの? 勝巳さんがどうかしたの?」
「陽子には関係ない」と苛立つのだった。
「夏休みに、東京のディズニーランドに行きたいの、友達三人で」
「そうか、行ってきなさい」
「そう、お爺ちゃんありがとう」
ドサクサに頼むとすんなり許可が出た。お小遣いまでもらえた。
でもあの勝巳さんのことを話すと苛立つ祖父に、疑念が湧いていた。

陽子は早速正造にメールで(東京行きの許可をもらいました)と送るのだった。それは正造が同行してくれないだろうか? の期待だ。陽子も心細かったのだ。正造が(誰か一緒に行ってくれるの?)と送るとしばらくして(おじさんかな?)と返事が届いたのだ。思わず苦笑の正造。

八王子か、東京の田舎だな。住所を見ながら、正造は行く気持ちになっていた。日帰りは無理だなあ、若い女の子がカプセルホテルには泊まれない。自分が同行しても二部屋必要だ、土日でなければなかなか行けない。(土、日なら行けるかも)と送ると(ほんと! 一緒に行ってくれるの? 旅費出すわ)と返事がきた。お爺さんの年金を出してもらうわけにはいかないので(ホテルはどうするの?)と送ると(高くなるから、同じ部屋でもいいわよ)と返事がくる。何を考えているのだ、恐いと正造は思う。すると見透かしたように(おじさんは何もしないから安心だから)とメールが届く。呆れる正造だった。
結局、来週の週末に東京に行くことにして、いつもの駅で待ち合わせをして、行く事に。陽子には二人分の旅費は困難なのだ。切符の手配は正造がすることで話が決まったのだ。

正造は、三人の友達には簡単に会えるだろう。そして陽子の母親弘子はすぐに消息がわかるだろう。もし陽子さんと仲良くなったら時々食事でもして、弘子を思い出せればそれで最高だ、と思っていたのに、三人の友達の消息もわからない状態に困惑していた。そして陽子と東京まで行くことになるとは想像もしていなかった。二十年前に恋い焦がれていた女性の子供とこのような成り行きに驚いていた。
週末、母の春子が「珍しいね、東京に出張なんて」と言いながら準備をしてくれた。
「保険会社の本社の主催の懇親会なのだよ。今まで行かなかったのだけれど、誘われてね」と
嘘を言った。後日、母はその時のことを嘘だと見抜いていたと言ったのだった。
駅に歩いて行くと陽子はもう改札の中で待っていた。正造を見つけて大きく手を振った。半袖の水玉の薄い水色のワンピースに帽子を被ったお嬢様スタイルに、改札を抜ける男性が一目見て行く。可愛い蝶の形のサンダルに腰にも蝶の飾りのベルト。正造は夏のジャケットにネクタイスタイル。懇親会と言った手前、ラフなスタイルが出来なかった。
「これ、切符」と手渡すと「おじさん、これグリーンだ、乗ったことないわ」と大喜びになる陽子を見て、目を細める正造だった。陽子は(のぞみ)のグリーンに座って「わー、座席も広い、乗り心地最高ね」
「せっかくだから、時間が余ったら、東京タワーでも行こうか?」
「東京から住所の場所まで何分かかるの?」
「一時間ほどかな?」
「私、夜行バスで行ったことになっているから、月曜日の昼に帰ればいいのよ」
「日曜の夜はどうするの?」
「そうね、おじさんの家に泊まるかな」
「えー!」
「嘘よ、駅前のホテルに泊まるわ」
「じゃあ、日曜日の朝から八王子に行って、遅い電車で帰るかな」
「それでいいわ、早く帰っても困るわ」
「東京まで戻るとして、五時間あれば充分探せるよ」
「今日はどこに泊まるの?」
「東京駅。移動に便利だから。部屋は二つ予約しているから、安心して」
「気を使わなくてもいいのに、私は気にならないわ、おじさんを信じているから」そう言って笑った。

新幹線の電光掲示板に、台風が日本に近づいて明日の夜から上陸の恐れと表示されていた。
「台風が来ているのだね」
「小さい台風で雨台風だと、お爺さんが昨日話していたわ。農業しているから天気に敏感なのよ」
「沢山耕作しているの?」
「一町とか話していたわ」
「年寄りには負担だね」
「私は一度も手伝ったことないわ、手が荒れるからって、触らせないの」
「大事に育てられたのだね」
「両親以上に大切に育ててくれたと思うわ、でも父にも母にも一度は会いたい」
そう言うと涙目になっていた。
東京で何かわかることを期待していた。

 

 
 

 
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