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小説『朝霧』 六話

 

次の日、同業者から笹倉久雄の兄弟の名前が送られてきた。長男久雄、次男武雄、長女久美子は嫁いで片山久美子になっていた。次女智恵美も嫁いで下田智恵美で、四人兄弟と書いてあった。別に変わったことはなかった。しばらくして「子供さんは健在の人だけだ、昔に亡くなった人とか、子供の時に亡くなった人もいたようだ」と電話があった。
「有難うございます、助かりました」とお礼を述べた。子供の頃に亡くなることが昔は多かったからだろうと正造は考えていた。

保険会社の名前で学校に電話をすると、住所なら教えますと、簡単に教えてくれた。笹倉真子、野々村真希、大山順子の住所を聞き出した。これは今度、陽子に会ったら喜ぶだろうと正造は考えたのだった。

陽子は昔の写真に聡子の姿を探していたが、アルバムはほとんどなかった。出てくるのは自分の子供からの記録がほとんどで、母の写真もほとんどなかった、母の子供の頃の写真もわずかで、聡子さんはやはりお父さんの妹か姉? でもあのおじさんは母の姉妹だと言っていた。何故? 疑問が大きく膨らみ陽子は自然と正造に連絡をしていた。もっと母のことを知りたかった。
「明日、帰りに会っていただけませんか?」
「いいですよ」
「今回は駅前でお会いしたいです、送っていただくと遅くなりますから」
「いいですよ」
本当は送りたかったが正造は我慢したのだ。

翌日、陽子は半袖のワンピース姿に髪を後ろにバレッタで留めた爽やかな服装で改札を出てきた。正造を見て手を振る仕草が可愛い。改札で人を待っている男性の視線が陽子に注がれているような錯覚さえ感じる。綺麗で若々しい姿、眩しいのだ。二十年前に何故この光景にならなかったのだろう。
「お待たせしました」と言いながら近づいて、陽子は「コーヒー頂きますわ」
「じゃあ、そこの出たところにゆっくり出来る喫茶店があるから」
廻りから見れば、親子だった。陽子は両親の愛情に飢えていた。祖父母は年を追うごとに体力が衰えるから、どうしても父母の役割は出来ないのだ。陽子はいきなり腕を組んできた。正造はびっくりした。
「いいでしょう、お父さんみたいだから」
「じゃあ、お母さんが要るね」と笑うと「お父さんと歩きたかったの」
両親の顔も多分知らないのだろう。
「両親の写真はないの?」
「祖父母が、子供を捨てる親は親でないから、処分したんだって」
「それにしても、酷いね」
「だから、二人のことを知っている人に会いたいのよ」
少し涙声になる陽子だ。
喫茶店に入ると背広のポケットから、一枚しかない写真を取りだして「私もこれ一枚しかないし、綺麗に写ってないから、見せたくなかったのだけれど」

写真を食い入るように見る陽子の目から涙が流れていた。
「これがお母さん?」と言った。
「本当に知らないの?」
「お母さんの子供の時の写真は少しあるけれど、大人の写真はないの、これ、もらってもいいの?」
「写りが悪いので良ければ差し上げますよ、でも祖父母に見つからないようにしなければね」
「はい」
「泣くのを止めてくれないと、私が泣かしたみたいだよ」
「はい」ハンカチで涙を拭う陽子だ。大事そうに写真をバッグにしまい込んで「他に何かわかりましたか? 思い出しましたか?」
今度は質問攻めになった。
「お母さんの友達の住所と名前が三人わかりましたよ」
嬉しそうな顔になって「本当ですか? よくわかりましたね」
「日記に名前を書いていたのでね。お母さんの短大に電話をしたら教えてくれました」
「簡単に教えてくれるのですね」
「普通はダメでしょうね、私は保険会社だからね」
「そうか、保険金の調査で聞いたのですね」
「そうです」
「でも何だか、お母さんのことがいっぱいわかりそうで嬉しいわ、有難うございます」
「多分、お友達ももう結婚されていて簡単には会えないだろうから、休みに一緒に行ってあげますよ」
「本当ですか? 保険会社の調査で聞きに行くの?」
「まあ、時と場合ですが」
「おじさん、お母さんの短大に連れて行ってもらえませんか?」
「何故?」
「おじさんの話だと、お母さんは短大を卒業して、しばらくして父と結婚したと思うのです。お母さんが学んだ学校に一度行って見たいのです」
「いいですよ」
「何故、卒業してすぐに結婚したのか? その辺もわかるといいのですが?」
「それは、友達に聞かないとわからないでしょう」
「友達って、近所の人?」
「私が知っている友達は近くの人だけですよ、それ以外にも沢山いたでしょうが、私は知りません」
「でも、何人かわかれば順番にわかるわ」
コーヒーを飲みながら、手がかりが見つかった喜びを笑顔で表すのだった。先ほどまで泣いていたのに急に変わる陽子の若さに戸惑いを感じる正造なのだ。
しばらくコーヒーを飲みながら、とりあえず母の友達の自宅を訪ねることにしようと決めた。
喫茶店を出て駅に着くまで、腕を組み、もたれかかって歩く陽子。

父娘のつもりでいる陽子に、弘子を重ねる正造の奇妙な二人。駅から正造の友人、柏木が降りてきて「田宮、娘さん? 綺麗な娘さんだね」と会釈をしながら近づいてきた。
「ああ」と曖昧な返事をすると「いつも、父がお世話になっています」と陽子がお辞儀をした。
地元だから時々知り合いに会うのだけれど、柏木に会ったのには少々困った。結構色々な処で喋るからだ。
「お父さん、私帰るから、またね」と手を振って改札に向かった陽子だった。正造はもう少し陽子と話がしたかったのに、と残念顔になる。
「下宿でもしているのか?」
「まあ、そんな感じかな」
「でも似てないなあ、凄く可愛い」
「妻に似ているのだよ」
適当に誤魔化す正造に「また、飲みに行こうな」
そう言って柏木は飲み屋街に消えた。今夜の内に広がるのだと正造は感じるのだった。それほど、陽子のインパクトは柏木には大きいだろうことが想像できた。

案の定、次の日「田宮、お前、離婚していたのだな」と友人の一人、木下が電話をしてきた。
「内緒にしてくれよな」
「凄く綺麗な娘さんらしいなあ」
「柏木に聞いたのか?」
「もう飲み屋街で知らない奴はいないよ」
予想はしていたが、一番お喋りな男に見つかったと後悔をするのだった。
翌日、スナックのママまで「田宮さん、もの凄く綺麗な娘さんがいらっしゃるのね」
「冷やかさないでくださいよ、たまたま下宿先から寄っただけですよ」
「今まで一度も聞かなかったから」

「別れた妻と暮らしているのですよ」
「結婚されていたのね、独身主義かと思っていたわ」
笑って誤魔化したが、当分飲み屋街には行けないなあ、と思う正造なのだ。
陽子は田宮にもらった古ぼけた写真を毎日飽きるほど眺めていた。
「お母さん、どこにいるの?」
「お父さんと一緒なの?」
布団の中で写真に語りかける。陽子の宝物になった。
次の休みに正造と一緒に母の友達を訪ねることになっていたので、もっと母のことがわかると期待をする陽子。
日曜日、正造は家の裏の土手に迎えに行くと連絡をしていた。何度この場所に来たのだろう。
ここから遠くに弘子の自宅が見える。田植えが終わって、一面緑の田んぼの向こうに弘子の家が見えた。二十数年前もこの光景を何度か見た正造だった。約束の時間より早く来て、川を眺めて辺りの風景を楽しんでいた。道路沿いは昔に比べて大きく変貌しているが、裏側は昔と全く変わらない風景がある。二十年前と全く変わらないのだ。
約束の時間より随分早く陽子は土手にやってきた。川面を眺めていた正造に後ろから驚かすように肩を叩いた。正造が大袈裟に驚いた様子に、陽子が逆に驚いたのだ。正造の顔面から血の気が引いていたのだ。
何故? 陽子は驚かせ過ぎたのか? と後悔をするのだった。
不思議な光景だったのだ。

 

 
 

 
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